まだ、私が、会社に勤務していた頃にいた、嫌な上司のお話です。当時、私は、東証の2部に上場している会社の総務部に在職していました。ドラマや映画に出てくるような絵に描いたような本当に嫌な上司でした。定年で退職した前任の上司が温厚で物静かな人だっただけに余計に際立って、見えました。その上司は社内でも屈指の評判の悪い嫌な人間で、人事異動が発令され総務にその上司が部長としてくるとわかると皆、総務の部員は暗澹とした思いに駆られました。兎も角も、その上司はやたらと怒鳴るそして、自分の非は絶対に認めようとしません。オーナー会社だったのですが、社長やその『おとり巻』の役員にはコメツキバッタのようにペコペコする。そのくせ、部下には、大口をたたいて理不尽なことをしたり無茶振りをしてくる、出来ないと、又、部屋中に響き渡るくらいの大きな声で怒鳴る。入社したばかりで社会経験のない女の子などは、泣き出してしまうこともありました。見ていても不愉快な上司でした。普通、会社などでは、営業部と購買・調達部では、人事の交流があり、何年か購買部を経験すると人事異動があり、今度は営業部を経験するあるいは、その逆ということがよく行われます。その上司というのは、総務の部長職になるまで、入社以来、購買・調達部しか経験したことがなく、買う側の心情は知っていても、売る側の心情というのは、全く、わかっていない。つまり「頼まれ仕事」ばかりだったので人に頭を下げることがしたことがない、出来ない人でした。その一つの仕事しか知らない人間が、総務という全くの畑違いに異動されてきたわけです。今でこそ、「パワハラ」や「セクハラ」あるいは、「マタハラ」などが社会問題となり、こういうことをしようものなら、厳しく糾弾され、最悪の場合、退職に追い込まれることも見られるようになりましたが、その上司が入社した時代は、いわゆる、高度経済成長の時代で仕事は怒鳴られて、そして嫌がらせを受けて覚えるものであり、実際に自分もそうして仕事を覚えてきたという自負があるのでしょう。だから、昨今の若い人もそうやれば、成長する、いや、そうしないといけなく、それに付いていけないものは、落伍者だというような信仰にも近い、固定観念を持っていたようです。また、怒鳴ることが上司の権威を示すものだと思っているところがあったのか、今までとは違う職種に異動なったせいか、仕事のことがわからなくなる、ちょっと込み入ってくると直ぐに怒鳴る、激し易い性格だったようです。勿論、私も例外でなく理不尽な理由でよく怒鳴られた一人です。上司でなければ、一発、ぶん殴って「辞表」を口の中に押し込んでやりたいと思うことなどは、一度や二度ではありません。この辺りは、先日行われたパワハラやセクハラを禁止するILOの条約の採択に際して、国と労働者は、賛成したのに、使用者つまり会社側である経団連は棄権したというところからも、昔の人たちの時代遅れの古い考え方を伺い知ることができると思います。経団連の見解は「適切な指導とハラスメントの区別が難しい」というものですが、この上司の場合、明らかに指導ではなく「ハラスメント」つまり嫌がらせです。また、育ちもあまりよくないのか親の躾が良くないのか、出入りの業者さんと話をしている時でも会社によくあるパイプ椅子の上に胡坐をかいて手を頭の後ろに組んで話を聞いているなど、とてもいい大人でしかも部長職まで預かっている人間のとる態度ではないです。出入りの業者さんは、こちらは客なので何も言ってませんでしたが、「随分と人を馬鹿にした失礼な会社だ。こんな人しかいないのか、この会社は?」と思っていたに違いありません。部下としても、恥ずかしい限りでした。一番、印象深く残っている出来事は、その部長の指示の伝達ミスで当時の私の直属の上司であった課長が怒鳴られていたことです。だれが見ても、非は明らかに部長にあり、当該の課長には一切、責めはありません。同じ総務部にいた同僚は、皆、わかっていましたが、下手に口をだそうものなら社長やその『おとり巻』へ取り入って覚えが目出度い部長ですからどんな不快な報復をうけるか、わかったものではありません。課長が気の毒だとは思っていましたが、私も含めて皆、見て見ぬ振りをしてやり過ごしてしまいました。そんなようなことが、頻繁にあり、総務部員一同、皆、その部長のことを嫌がっていました。しかし、どんな嫌な上司であっても会社の決めたこと、会社に文句を言って更迭して貰うことなどは出来ません。渋々、そして戦々恐々として皆、過ごしていたというのが偽らざるところです。当然のことながら、総務部の中は何か何時も殺伐とした雰囲気でした。表現がちょっと大袈裟かもしれませんが、「恐怖政治」のような状態でした。そんな日が続いているうちに、幸か不幸か私も体調を崩して退職することになり、その上司の面を見ることがなくなりました。勤め先がなくなった不安が半分、その上司と顔を合わせる必要がなくなった安心が半分というような複雑な心境だったのを記憶しています。それから、どのくらいの年月が過ぎた頃でしょうか。たまたま、当時、同じ部署にいた同僚と街中で行き会い、色々と当時の話をしているうちに例の嫌な部長のことに話が及びました。「あの部長、どうしてる?」と私が尋ねると「実はね・・・」とその同僚は目を輝かせながら「君が退職してから程なく、奴の体に大腸癌が見つかってね、入院したのだけど、既に手遅れのステージ4でいくらも経たないうちに死んだよ」と笑って話していました。人の死を笑って話すなど不謹慎、極まりないように思われるかもしれませんが、これを見てもどれだけ、嫌われ者で人望がない人間だったかわかると思います。そして、更に悲惨なのは、その後の話です。普通、現職の上司が亡くなったら通夜や葬儀などには、義理であっても出席するものですが、その上司の通夜にも葬儀にも部署の連中は誰一人として、参列しなかったようです。本人が死んでしまえば、誰が行こうが、行くまいが、わからないですからね。その上司と同期で数少ない友人の方の話だと、正に「閑古鳥が鳴く」というような表現がピッタリの唖然とするほどに寂しい通夜と葬式だったらしいです。「しかも、散々、媚びへつらった社長や『おとり巻』の役員連中も殆ど参列しなかった」とその同僚は祝杯でもあげたいような昂揚感で話していました。昔の同僚の話を聞いて、私も溜飲が下がりました。勿論、成仏など祈りません。「地獄に落ちろ!」と心の中で思い、せせら笑っていました。以前に本か雑誌で「人の人望の度合いというのは、その人の葬式を見ればわかる」というのを読んだことがあります。この上司の通夜と葬儀を見ればその人望のなさが如実にわかるというものだったらしいです。葬式というのは、ある意味その人の総決算のような面があります。どこの職場にいっても嫌な同僚、嫌な上司はいるものです。これは、神の集団ではない以上、仕方ありませんが、ここまで絵に描いたような上司というのも珍しいのではないかと今でも悪い意味で忘れがたい上司です。
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